アメリカから帰ってきて1週間経った。サマータイムの時期のニューヨーク州と日本は13時間の時差がある。ほとんど昼夜逆転の時差ボケもすっかり治ってしまった。今回は、アメリカと日本の司法試験の違いについてまとめておきたい。
1 司法試験
【大学の授業との両立】
私が知っている日本の司法試験というのは、ロースクールができる前の旧司法試験のことだが、アメリカの司法試験は日本とは大きく異なる。私の学生時代の悩みは、大学の授業と司法試験の両立だった。司法試験のスケジュールは、5月に択一試験、7月に論文試験で、最後の詰めともなると勉強は忙しい。その間も大学の授業はずっと継続しているので、並行して勉強をするのはとても大変だった。
対するアメリカの司法試験の場合には、ロースクールを卒業するのが5月、そして6月と7月の2か月を勉強に充てて、7月の終わりに司法試験を受けるという流れ。日本の司法試験のように、1年をかけて勉強をするといった類のものではない。短期決戦で終わるのは大きな違いと感じた。
【勉強の仕方】
だが、勉強の仕方は共通。アメリカのロースクールの場合には、ソクラテスメソッドなどと呼ばれる、先生が学生に質問をし、学生が自分で答えを発見するように導く方式で知られる。ところが、アメリカでも司法試験の勉強は完全に専門予備校による詰め込み方式。
バーブリという大手司法試験予備校をはじめとして、司法試験を受ける学生はほとんどがどこかの予備校のコースを受講する。少し異なるのは、大学と予備校が協力関係にあるところ。夏季休暇の間は、予備校が大学の講堂を借り切って、学生相手に講義を展開する。日本の法学部は司法試験予備校を目の敵にしていた印象なので、ビジネスライクな協力関係は新鮮に映った。
とはいえ、司法試験予備校の授業は、東西を問わずほぼ同じ。塾講師が、時にユーモアやさらには歌を交えながらも、受験生がなるべく覚えやすいように効率的に「試験に出るところ」を教えていく。そこには、学生が自分で答えにたどりつくソクラテスメソッドなんて全くない。まさに詰め込み方式だった。
【試験当日】
そして、ニューヨーク州での司法試験当日。1,000人を有に超えると思われる受験生は、普段、スポーツ競技の試合会場に使われている大きな建物に詰め込まれる。冬になれば氷を張ってアイスホッケーリンクに様化代わりするその巨大なコートの上が、私たちの戦場となった。2日に及ぶ試験の過酷さは、日本もアメリカもさほど変わりはない。加えて、アメリカの司法試験の場合には、会場前に、空港のセキュリティチェックのような巨大な機械が置かれ、受験生の荷物をチェックする。不法な物が持ち込まれるのを避けるため、受験生が持ち込めるのは透明なビニール袋1つとそれに入る荷物だけだった。
持ち込める荷物の中には、チョコレートなどの小さなお菓子は含まれるがお弁当は含まれない。受験生は、司法試験員会指定の業者からお弁当のサンドイッチを購入するが、これが信じられないくらい高い上に、小さくてまずいという代物で、みんな文句を言っていた。
2 弁護士になるには
【職業倫理の証明】
さて、司法試験に受かると、次は自分が弁護士に適した人格であることを証明しなければならない。日本と違って、アメリカでは「宣誓」という文化が根付いている。まず、自分が職業的なモラルのある人間であると証明する宣誓書を、友人二人に書いてもらう。以前勤めていた弁護士事務所にも、勤務期間中に高い倫理意識を持っていたことを、宣誓書によって証明してもらう必要がある。
その他に、プロボノ活動の要請がある。刑事の国選弁護人という言葉をお聞きになったことがあるだろうか。刑事事件の被告人の多くは貧しく、自分で弁護士を雇うお金がない。それでも、法律の知識がないために、本来、有罪となるべきでない者が刑務所に行くことになれば、人権侵害は計り知れない。そこで、お金に余裕がない場合には、国費で弁護士を雇える。これが国選弁護人であって、その性質上、当然、弁護士に入る対価は、通常の事件と比べて少なくなる。ただ、弁護士という職業を成り立たせるためには、自分のお金で法律と正義にアクセスできない人にも、その知識やノウハウを提供する必要がある。こうやって、主には貧しい人に、法務を提供することをプロボノと呼び、これは弁護士の義務である。ニューヨーク州で弁護士になるためにも、50時間のプロボノ活動が義務付けられる。
必要書類がそろえば、それをアメリカの裁判所に提出して、ニューヨーク州弁護士会の倫理委員会によって、この人が弁護士としての的確な倫理を持ち、入会するに適しているかの審査を受けることになる。
審査に受かれば、晴れての入会となって、ニューヨーク州弁護士資格を手にするわけである。その最後の部分は、日本からでは行えず、アメリカに行く必要がある。
その最後の部分というのが、面接試験と宣誓式なのだ。
【面接試験】
朝9時に面接会場に向かう私は緊張していた。一緒にニューヨークに付いてきてくれた母の話も、あまり頭に入ってこないほどだ。朝9時という早い集合にもかかわらず、待合室には続々と人が集まってくる。各受験生はグループに分けられ、そのグループごとに異なる面接の担当官がブースの中で待っている。これって、何かと似ている?
そう、日本の司法試験の最後に待ち受ける口述試験とよく似ている。口述試験の直前の待合室は「発射台」と呼ばれ、緊張した受験生が口の中で何かをぶつぶつと唱えながら順番を待っている。アメリカでも、日本でも、最後に待ち受ける難関はやっぱり口述試験なのだろう。
ところが……。何か少し趣が異なる。みんなが極度に緊張していた日本の「発射台」に対して、ここではまわりの受験生の顔がリラックスしているような……そう、アメリカの場合には、この面接は形式的なもので、落ちるのは不可能とすら言われているのだ。
それでも緊張しながら面接のためのブースに入った私に、ニューヨーク州弁護士会副会長を名乗る初老の男性は優しくこう言った。
「そんなにナーバスになる必要はない。ニューヨーク州の試験規則によって面接が課されているけど、君の場合には問題ないから。前科とか、10か月で10回スピード違反をしたとか、そんなことはないだろう?」
日本の口述試験の時には、面接官にそれはそれは厳しく詰められたが、今回は打って変わった穏やかな雰囲気。私は安心して面接会場をあとにすることができた。
【宣誓式】
そして2日後の6月28日水曜日が宣誓式の日。アメリカの各州はもとより、世界各地から集まった弁護士の卵たちは、ここで、アメリカ合衆国憲法とニューヨーク州憲法に従って、自分の能力が能う限り誠実に職務を行うことを誓う。そして、この日を以て、ニューヨーク州弁護士の仲間入りをするのだ。
栄えあるこの会場で祝辞を伝えるために招かれたゲスト・スピーカーは有名な検事なのだと思う。
「弁護士諸君、そしてご家族の皆さん、今日栄えあるこの場で皆さんにお祝いを伝えられることを嬉しく思います。この栄誉ある役目を引き受けるにあたって、私は、今日、この日、皆さんに何を伝えるべきかを考えました。思えば、二十数年前のこの日、私自身も皆さんと同じように、期待に胸を膨らませて、そうそちら側に立って宣誓の言葉を口にしていました。私もその日皆さんと同じように同職の先輩からお祝いの言葉を受けたのです。」
そこで、いったん口を閉じた後、おもむろに口を開いた彼はこう続けた。
「そこまで考えたとき、私は、ある事実に気づいた。二十数年前のあの日の祝辞を、私は一言も思い出すことができない。そう、私が何を話そうと皆さんは忘れてしまうでしょう。二十数年後とは言わずに、たった数日後には……だから、今日、この場で私に期待されているのは、人生で記憶に残るスピーチではなく、とにかくあんまり長く話し過ぎないことだと」
彼の発言は正しい。わずか1週間とそこらで、私はそれ以降彼が話した内容を思い出せそうにない。本当に申し訳なく思うが、とにかくこうやって、私は晴れてニューヨーク州弁護士となれました!感謝!!