1.                         『ニュースの真相』あらすじ

 

『ニュースの真相』という映画を見た。

2004年、二選目を果たそうとする共和党のブッシュに対して、民主党のケリーが挑んだ大統領選挙。この選挙の際に、両候補の軍での経歴が問題となった。アメリカの軍隊に所属し、パイロットとしての経歴を持っていたブッシュ。しかし、彼の経歴の中の大きな疑惑を、報道番組がスクープしたのだ。

その報道番組によれば、

     死の危険をはらむベトナムへの従軍を避けるために、ブッシュはコネを使って州の軍隊に入隊した。

     軍隊でのブッシュの成績は最悪。なんの許可もなく1年間も離隊していた。

     ブッシュに不利な情報はすべて書き換えられ、ブッシュは成績優秀であったかのように扱われている。

ブッシュの素行の悪さと、それでもそんな彼に対する明らかなえこひいきが行われていたという内容は、十分なスクープに値するものだった。

 

そして、それを裏付けたのが、ブッシュの上官の「個人メモ」とされる、いくつかの文書だったのだ。

このスクープに基づいて番組を作ったのが、名うての女性プロデューサーであるメアリー・メイプス、CBSの『60 minutes』という報道番組で、リベラルで名が通っているキャスターのダン・ラザーと組んで公表。これは選挙戦を戦っていたブッシュ陣営に多大な打撃を与えるかに思われた。

 

ところが、ところがである。次に持ち上がったのは、このスクープのもとになった「個人メモ」が偽造ではないかという疑惑だった。さて、果たして、メアリーは、ブッシュの疑惑に切り込もうとするジャーナリストとしての役割を果たしたのか、それとも、ブッシュ陣営を陥れようとして、ジャーナリストとしてやってはらないことをしたのか。

 

ここから先は、ぜひ、映画を見ていただきたい。昨年アカデミー作品賞を受賞した『スポットライト』をはじめ、最近はジャーナリズムに関してとても面白い作品が多いが、なかでもこの作品は中でもアメリカ政治と報道の在り方の核心に迫る、出色の作品である。

 

2.                         メアリーは、ジャーナリズムの良心か?暴走か?

 

この映画を見ていただければすぐに分かることであるが、これは民主党的な「リベラル」な立場からメアリーの名誉回復をしようとした作品である。それに対して「保守」の共和党側から作ったならば、この映画は全く別のストーリーになっていただろう。(それもそのはず、この作品は、メアリーの著書に基づいている。)

いわゆるリベラルな立場から見れば、権力の疑惑を暴こうと努めてきた彼女は、ジャーナリズムの良心である。それに対して、いわゆる保守の立場から見れば、わずかな証拠で十分な裏付けもないまま、権力の疑惑を暴き立てようとした彼女は、ジャーナリズムの暴走である。これはコントラバーシャルな問題である。そして、私はその両方とも真実(truth)であろうと思うのだ。(この映画の原題は、奇しくも”truth”である。)

 

つまりね、絶対的な真実というのはどこにもないわけである。すべての真実はストーリーなのである。ストーリーに沿って、それに合う事実をつまみ上げ、並べていく。ブッシュ共和党に反対するリベラルな立場から拾い上げれば、ブッシュ経歴疑惑の決定的な証拠である「個人メモ」を入手したメアリーは、四人の専門家に照会して文書が偽造されたかどうかを調べ、当時の軍関係者を調査して内容の裏付けを取った。これだけで、ジャーナリストとしては十分である。その過程で、文書の正当性に関する重要な疑惑を見逃したのは、不幸な偶然が重なった結果に過ぎない。

それに対して、ブッシュ共和党を応援する保守の立場から見れば、出所の明らかでない「個人メモ」を信用し、四人の専門家のうち二人が「個人メモ」が偽造された可能性について強い疑惑を表明したにもかかわらず、報道を強行したのは、ブッシュ批判ありきの、メディアの横暴である。

 

この二つの説明は、どちらも納得できるストーリーである。事実はひとつなんてことは決してない。すべての事実は、要するに、解釈の問題なのである。ニュースというのは、この世に無限にある出来事の中から、いくつかの事実を選び出し、それを並べて、ストーリーを提示することによって作られる。すべてのニュースには、作り手の「視点」が入る。そして、それは同時に「バイアス」にもなってしまう。

 

3.                         『ニュースの真相』とは?

 

私が、この映画を見て思ったのは、そういう作り手のバイアスは避けることはできないということ。公平中立な報道なんていうのは、本当は不可能なことなのである。だからこそ、ニュースの作り手が視聴者に誠実であろうとすれば、できることは自らのバイアスを開示すること、それしかない。アメリカのジャーナリズムは、これが比較的しっかりしている。そして、『ニュースの真相』の場合もそうであった。

プロデューサーのメアリーは誰から見ても「リベラル」という人物だったし、何よりもキャスターのダンは「明らかにリベラル」と評されてきた人物である。日本のキャスターの中で、これほど明確にポジションを取っているキャスターはどれくらいいるだろう。

 

それから、忘れてはいけないことはひとつ。アメリカの「リベラル」はファッショナブルなのだ。この映画のダンの描き方を見てほしい。権力への懐疑、弱者への共感と配慮。経産省の前で「原発反対」と叫ぶ人々とは異なるリベラルが見えてくる。

保守の共和党とリベラルの民主党の対立軸に基づいて展開してきたアメリカの政治が、非常によく分かる映画である。残暑の街中を歩くことに疲れたら、ぜひ、映画館で涼んでみられてはいかがだろう。

ブログ160909

(写真は公式サイトより)