メラニア・トランプ。最近、世界で最も話題になっている男の妻である。

 

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メラニアが人々の話題を誘ったのは、共和党大会における彼女のスピーチによってであった。残念ながら、そのスピーチは、ミッシェル・オバマのスピーチの盗用として騒がれたのである。

 

メラニアのスピーチは、当初、好意的に受け止められた。夫のトランプも満足げだった。スピーチの終わった7月19日夜半に「妻のスピーチは本当に素晴らしかった。心から誇りに思う」と、トランプはツイートしている。

 

しかし、このとき、事態はすでに動いていた。

 

7月19日の夜半、メラニアのスピーチと、2008年の民主党全国大会におけるミッシェル・オバマのスピーチが驚くほど酷似していることを、フリージャーナリストが早くもツイートによって指摘する。スピーチの中に2か所、場合によってはパラグラフ全てがほぼそのまま盗用されていた。これは引用ではない、誰がどう見ても盗用である。

 

メラニアのスピーチライターの女性は、こう釈明した。

 

「電話越しにメラニアとスピーチの内容について、相談していた。そのときに、メラニアが、尊敬するミッシェル・オバマのスピーチをあくまで参考として引用してみせた。コミュニケーション不足によって、私はそれをメラニア自身の言葉と誤解し、書き留めた。その内容が、メラニアの最終スピーチの原稿に残ってしまった」

 

トランプは、このスピーチライターを首にはしなかった。「罪のない過ちである」と表明して、鷹揚なところを見せた。

 

スピーチライターの女性は、「この家族のために働くことを、今日ほど誇りに思ったことはない」として、あろうことか、この失策を美談仕立てにまとめようとした。

 

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これは美談で終わらせられる話では、もちろんない。これは二つの重要な懸念を示している。

 

ひとつめは、トランプ陣営のスタッフ層の圧倒的な質の低さである。普通に考えて、共和党大会という大きな舞台で、このような盗用騒ぎはあり得ないことである。2008年の民主党全国大会でのミッシェル・オバマのスピーチというメジャーなスピーチと、あり得ないほど似ているということには、誰かが必ず気づくべきである。少なくとも、それをチェックする体制があってしかるべきである。

 

ミッシェル・オバマのヘッド・スピーチライターは、サラ・ヒューイッツ。彼女は、もともとヒラリーのスタッフだった。だから、これは「皮肉なことに、ヒラリーサイドからの盗用である」という声もある。いずれにせよ、ヒラリーとトランプのスタッフの質の差は歴然である。

 

ふたつめは、メラニアにとって、これは「罪のない過ち」などでは決してないということ。法律用語で、単なる過ちを「過失」、わざとやった場合を「故意」というのはご存じだろうが、メラニアのスピーチライターにとっては「故意に近い重過失」であるこのアクシデントは、メラニアにとっては完全に「故意」だろう。

 

草稿段階からスピーチを何度も読む機会があったメラニアは、なぜ、「これは私自身の言葉ではない」と言って、訂正を求めなかったのだろうか。

 

そして何よりも、彼女の罪は「自分自身が何者であるかを偽ろうとしたところ」にあるのだろう。

今回は、この盗用がなぜ許されないのかを考えてみたい。

 

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盗用がなぜ許されないのか

 

まず、表面的な理由から。

盗用(plagiarism)というのは、アメリカでは日本よりもずっとずっと厳しい。決してやってはいけないことである。

 

ハーバード・ロースクールの最初の授業。コモン・ローの基本を学ぶよりも、アメリカの誇る憲法を学ぶよりも、なによりも先に、私たちは「盗用」について教えられた。なぜなら、これがパブリシティの基本の基本だからである。

 

他人の意見から学ぶのは決して悪いことではない。参考にするのが悪いなんてことは当然ない。むしろ、それはとても重要なことである。

 

しかし、そのときに、必ずしなくてはならないことは、「引用」である。

1.                            ここからここまでが引用部分であるというのを、鍵括弧などの形で分かるように明記する

2.                            誰のどういう意見から引用したかという出典を明記する

この二つが、基本的なルールである。

 

アメリカの盗用に対する基準がどれだけ厳格かというと

たとえば、元の文を参考にしているうちに、どうしても似てしまうことがあると思うけど、3単語以上同じ語順で使うならば、それは「参考」ではなく、「引用」と考えて、出典を明記したほうがよいと習った。

 

それから、アメリカ人の論文を読んでいると、他人の正式な論文からの引用のみならず、「これは、去年の学会で会った○○教授と立ち話をしていた時に、同氏が述べた見解である」と、非公式な場面での会話ですら、きちんと出典が記されていたりする。

 

どちらかと言えば、日本人よりもルーズな国民性ではあるが、こと「盗用」にはずっと厳格なのである。

 

どうして盗用が許しがたい罪なのか。

 

それは、人のアイディアを盗むことだからである。

 

自分のアイディア、考えというのは、その人をその人たらしめる、究極の要素である。それを盗むということは、これは誰かの財産を盗んだり、誰かの自由を侵害したり、そういうことと同じくらい、いやそれ以上にもっと許しがたいことなのだ、こういう考え方が浸透しているのだと思う。

 

アイディアや考えというのは、人間を形作る重要な要素である。だとすれば、人のアイディアを盗むというのは、本来の自分からは出てこない何かを口にしようということ。つまり、自分自身を偽ることなのではないかと思う。

 

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メラニアは何を偽ったのか

 

the values that you work hard for what you want in life”(人生において手に入れたいもののために、一生懸命に努力する価値)

 

メラニアが語った言葉で、ミッシェル・オバマのスピーチからの盗用とされる箇所である。

 

これって、皮肉にもメラニアのこれまでの生き方に当てはまるのではないかと思う。順を追って説明していきたい。

 

まずひとつ、メラニア自身が、トランプが軽蔑する「移民」である。

 

メラニアはスロベニアの田舎に生まれた。母は畑仕事に出ていたというから、決して裕福な家庭ではなかったのだろう。聞けば、トランプと同じような、前時代的で尊大で一家を支配する父親と、それに仕える母親という構図だったらしい。

 

しかし、メラニアは田舎暮らしに飽き足らなかった。

 

スロベニアの首都に進学し、それからヨーロッパでモデルの仕事をするようになり、そして、ニューヨークに渡ったのである。

 

スロベニアの田舎の貧しい地域に生まれ、単身、ヨーロッパに渡り、ニューヨークに渡り、そして、巨万の富を持つといわれる男の妻に収まった。

 

夫に従うだけで自分の意志を持たないかのように言われるメラニアは、実は「人生において手に入れたいもの」を早い時期からはっきりと自覚していたし、それに対して誰よりも野心的に「一生懸命に努力」したのではないかと思うのである。

 

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そして、ふたつめは、夫・トランプが妻を尊敬しているようには見えないからである。

 

トランプは、共和党からの氏名をテッド・クルズと競っていた。そのときに、トランプのひとつのツイートが大いなる批判を呼んだ。

 

テッド・クルズの妻・ハイディのひどい映りの写真と、自分の妻・メラニアの映りのいい写真。この二つを並べてツイートしたのだ。「百聞は一見に如かず」という言葉とともに。

 

どっちがいい女かっていうのは見たら明らかだろう、どっちの女を妻にしている男が優れているかってことも、同じように明らかだ、とそういうことを言いたかったのだろう。

 

これは、トランプに対する女性たちの嫌悪感の決定打となった。

 

しかし、私は思うのである。

このツイートは、メラニアの美貌を称えているように見えて、彼女を侮辱しているのではないかと。

 

人間性を褒めるでもなく、聡明さを愛でるでもなく、トランプは妻の見てくれを真っ先に重視する男であることが、図らずも明らかになったのである。

 

そして、このツイートから透けて見えるのは、トランプがメラニアを尊敬していないという事実である。

「どうだ、いいだろう」と新しい玩具を自慢する子供のように、「どうだ、美人だろう」と自分の妻を自慢する男。

 

ハーバード・ビジネススクールを卒業して、ゴールドマンサックスに勤め、夫であるテッド・クルズの対等なパートナーとして尊重されているハイディと並べられ、「トロフィー・ワイフ」として、あたかも自慢の所有物のように扱われて、みじめな思いをしたのは、むしろメラニアのほうだったのではないだろうか。

 

このツイートから、メラニアという人間に対するトランプの敬意は一片も感じられない。実際に、トランプは、彼女の故郷の地・スロベニアに、彼女の両親を尋ねたことは一度たりともないという。

 

巨万の富を持ちながらも、妻を尊敬しているように見えない男。尊大な夫に我慢して、人生を共にするのも、「人生において手に入れたいもの」のために、「一生懸命に努力する」ことの一部なのだろうか。

 

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自分の人生に対する人一倍の夢と野心を持って、アメリカに渡ってきたメラニア。アメリカの市民権を得た日のことを誇らしく語る彼女は、「メキシコとの間に壁を作る」という夫の政策を、どう捉えているのだろう。

 

自分のヌード写真がばらまかれ、テッド・クルズサイドによるリークだと信じたトランプが、メラニアと並べて、「ひどい顔だ」とハイディを嘲ったとき、メラニアは何を感じたのだろう。

 

夫に対してあなたはいったいどう感じているの?

あなたはいったいどういう人間なの?

 

共和党大会のスピーチにおいて、聴衆に向けて、アメリカ国民に向けて、全世界に向けて、彼女はこの疑問に答える義務があったのだと思う。

 

the values that you work hard for what you want in life”(人生において手に入れたいもののために、一生懸命に努力する価値)

 

人生において手に入れたかったものとは何か。それを手に入れるために何をしてきたのか。トランプという夫を選んだ理由と絡めて、彼女自身の言葉で語るべきだった。共和党大会という場で、夫の応援演説をするという立場上、言えることは限られるだろう。しかしそれでも、その制約の中で、最大限の誠意を示し、自分という人間の片りんを聴衆に示すべきだったのではないかと思う。

 

しかし、彼女は、自分という人間を率直に伝えることを拒否した。ミッシェル・オバマの言葉を借りて、自分という人間性を偽った。

 

スピーチをするメラニアは、ときおり艶然と微笑むものの、ほぼ能面のよう。その言葉はセリフのようで胸を突くことはなかった。「借りてきた言葉」であったことが明らかになり、妙に納得したほどだ。

 

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盗用というのは、他人の言葉を盗むことである。

他人のアイディアを盗むことであると同時に、自分という人間を偽ることなのである。

そして、盗用がなされたとき、聴衆は、話者という人間を知る機会を失うのである。

 

アメリカが盗用を、心底、憎む理由はここにあるのだろう。

 

「あなたは何者であるのか」

 

ハーバードでは、常にこの問いを突き付けられた。この問いに答えることが、私たちの一生の課題である。そして、話者は聴衆から投げかけられるこの問いに答える義務があったのだと思う。

 

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さて、今回は盗用はなぜ許されないのかという話でした。

ミッシェル・オバマのスピーチと、メラニアのスピーチを見比べてみると面白い。確かに場馴れし、話すことにも慣れているミッシェル・オバマと比べるのは酷だろう。しかし、それを差し引いても、自分自身の言葉を話している者と、そうでない者は、こうも違うのかと思う。

 

スピーチライターによる洗練はあるだろう。けれども、源のアイディアはミッシェル・オバマ自身のものであると確信させるほど、ミッシェルの言葉には芯があり、真がある。対する、メラニアは

 

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ブログ160810


写真は、トランプのくだんのツイート。

丸川珠代が小池百合子とそっくりの白のスーツに青のインナーで登場して、両者の写真が並べられることがあった。うーん政治家も政治家の妻も、写真付きで並べて比べられる宿命なのだろうか

 

こんなのを見ると、政治家にも、政治家の妻にも、なりたくないですね。