暑い日の昼下がり、通りをブラブラ歩いていると、「レモネード、いかがですか?」という可愛らしい声が聞こえた。
そう、よくアメリカのドラマであるじゃないですか、幼い子供が家の前でレモネードを売ってるやつ。あのシーンをアメリカに来てはじめて目の当たりにしたのである。
「ドラマの中だけじゃなくて、これって本当にやってるんだ!」と思って、思わず買ってしまいました。
二人の女の子は8歳と6歳くらい。えくぼが可愛らしい。レモネードは1杯50セント。
硬貨が見つからないので、5ドルを支払おうとすると、お釣りがなかったらしい。
「代金はいらないわ」という。
そういうわけにもいかないので、お財布をひっくり返して、なんとか1ドル札を見つけて支払い完了。
そばに母親らしき人がいて見守っているのだけれど、代金のやり取りを含めて、「お客さん」と接するのは少女たち。
さてさて、まさか50セントのレモネードを子どもに売らせて、家計の足しにしようというわけでもないでしょう(笑)。実際、女の子たちも、「5ドル札しかないなら代金はいらないわ」って言ってたしね。
では、このレモネードっていったいなんのため?
これは、「市場」というものを子どもに教えるための教育なのではないかと、人に言われた。小さいうちから、レモネードを売ってみる、お客さんと接してみる、対価をもらってみる、そういう訓練をして、お金についての考え方や稼ぐということの意義を学ばせる、つまり、「市場」というものに慣れ親しませているのではないかというのである。
なるほど、確かに!『若草物語』の第三部でも、次女ジョーの経営する学園では、子どもたちが自分で考案した「ビジネス」をするのを推奨されていた。アメリカという国は、なんでも市場に委ねる国だ、市場との距離がとても近い国だと思ったけれど、子どものころからこういう教育を受けて「市場」が身近になっていくのね。
さて、ハーバードで師事した教授の一人が、「家庭(Family)」「市場(Market)」「国家(State)」という区分けから、いろいろなことを分析している。
家庭の中だけで抱えきれない問題があった時に、「市場」に何かできるか?「国家」に何ができるか?この課題が、この視点を通すと非常に分かりやすくなる。
たとえば、一家の大黒柱が病気になって働けなくなってしまう…こういうリスクは家庭の中だけでは賄いきれないことが多い。こういうときに、じゃあ、民間の保険で解決をしましょうというのは、市場に頼る解決方法である。それに対して、国からの給付に頼りましょうというのは、国家に頼る解決方法である。
こういうふうに分析すると、民間の保険ではカバーできないのはどういう場合か、その場合に国家はどうやって手を差し伸べるべきかという分析が、非常に明確になる。
さて、アメリカと日本の大きな違いは、「家庭」で抱えきれない問題を、「市場」に頼るか、「国家」に頼るかという点にあるのではないかと、私は思ったのである。
アメリカは、断然、「市場」。それに対して、日本はまずは「国家」という場合が多いのではないかと思う。
“ask not what your country can do for you --- ask what you can do for your country.” (国家が何をしててくれるかではなくて、国家のために何をできるかを考えよう)
大統領に就任したケネディが、こうスピーチして全国民が感動しちゃうような国ですよ、アメリカっていう国は。
「アベノミクスの三本目の矢がないではないか。国家は無策である」って批判された安倍首相が、「国家が何をしててくれるかではなくて、国家のために何をできるかを考えよう」って答弁したらどうなっただろう?「開き直り答弁」って批判されたよね、きっと。
アメリカという国は、政府というか少数エリートに対する不信が、骨の髄までしみ込んでいる国だと、私はつくづく思うのである。陪審員制だってそうでしょう?1人の裁判官の判断より、12人の市民の判断のほうが正しい可能性が高いって思ってるんですよ。
それに対して、日本は、批判はしつつも、政府をある程度は信頼しているのだろうと思う。「いや、信頼ならん。嘘つきだ」っていうかもしれないけど、「政府は無策だ」と批判するのは、ある程度の信頼のあらわれですよ、きっと。「政府は策を授けるべきなんだ」っていう前提が、まかり通っているってことですからね。これは、基本的にはとてもいいことなのだろうと思う。最高裁の判決ですら賄賂に左右されるって国が少なくないことを、私はここに来て学んだのである。
ただ、アメリカと比べると、日本は基本的に市場に対する不信感が根強い。輸入自由化だろうと、ゆうちょの民営化だろうと、「市場に任せます」「自由競争にします」っていうと、けっこうな大騒ぎになるのである。日本の場合には、自由化されていない規制にがんじがらめになった業界には、既得権益を享受する人たちがいて、自由化って言いだした途端に、そういう人たちが大騒ぎするっていう構造は、なんとなく分かりますよ?だけれど、そういう一部だけではなくて、私たち全体に「完全な自由競争ってなんか怖い…」「弱肉強食」「搾取されそう」っていう、市場とか自由競争に対する、なんとなくの不安があるのも事実なのではないだろうか。(少なくとも、私は、完全な自由競争って言われると、やや尻込みします…)
また、精子バンクの話をして悪いけど、精子を提供したい人と欲しい人のマッチングどうします?って問題について、アメリカはさっさと市場メカニズムに委ねるべしってことになったのに、日本は地方自治体とか公共機関が間に入ってマッチングすべしって議論してたしね。
で、私は、結局、日本ももう少し「国家」から「市場」にバランスをシフトしていくべきだと思うのである。最近、少しずつそうなってきているのはいいことだし、こういう傾向はどんどん進んでいくべきだと思う。
政府で働いたことがあるから分かるのだけど、さぼったりはもちろんしていないし、むしろ、かなりまじめに働いているんだけど、なにせリソースにも限界がるのである。やっぱり、市場のイノベーション力にはかないませんからね。
さて、甘ったるくノドに絡みつくレモネードを飲みながら、私は考えていた。そうか、こうやって、幼いうちから「市場」というものを体験によって学んでいくのか。だから、市場に対して根深い不信感を持つことなく、身近に感じられるのだろうと。
なるほど!「可愛い子には旅させよ」のほかに、「可愛い子には商いさせよ」って、ことわざはいかがでしょう?
(写真はhttp://ifranchise.ph/top-business-ideas-kids-will-teach-value-money/から引用)