この間、ブログで「叩く風潮」について書いた。そのときに、アメリカにおいては人間は不完全なものだという前提であるのに対して、日本はそうではないというご意見をいただいた。なるほど、確かに、仰るとおりである。
6月11日に小包を郵便で送った。そのとき、私はけっこう忙しかった。郵便局まで行って列に並んで待つなんてちょっと嫌だった。そこで、家に一番近いポストに投函してみることにする。この決断を、後で私は後悔することになる。
なお、アメリカでは13オンスルールというのがあるらしく、13オンスを超えるものはポストに投函しちゃいけないんだけど、オンライン・ラベルを貼った小包はだいじょうぶなんだって。えらい複雑だけど、とにかくオンライン・ラベルを貼った小包だったからポストに投函したわけです。
それで、昨日、そろそろ着いたかなと思って先方に連絡したのである。着いてないという。トラッキング・ナンバーとやらを調べてみたけど、何も記録がない。送付先の近くのセンターまで行っている記録はおろか、集荷されている記録すらないのである。
で、近くの郵便局まで聞きに行く。「集荷した記録がない。よく分からない。ここに電話してみてくれ」と集荷係の電話番号を渡される。
で、電話してみる。「集荷した記録がない。よく分からない。とにかく1週間待ってみろ。何かわかったら電話する」と言われる。もう、これは絶対、電話なんてかかってこないなという気がする。
で、家の一番近くのポストまでぶらぶらと歩いて戻ってきた。ポストには集荷時間午後1時と書いてある。時計を見ると、時間は12時50分。じゃあ、もう他に方法はないから、集荷に来た係の人に聞いてみようと思い立つ。そこから、待つこと1時間。結局、誰も現れない。
(いや、何を仰りたいかは分かりますよ。いやー、なに、この人、すっごい粘着質だわ、怖い怖い…しかも、忙しいって言ってなかった?っていう…)
で、どんどん不安になってくる。このポスト、ちゃんと集荷されているんだろうか?もしかして、私の小包は2週間近くこの中で眠っているんじゃないだろうか?
で、また集荷係に電話したわけです。「ほんとに郵便出したのか?」とか「ポストに入れたのか?」とか「ラベル貼ったのか?」とか、いろいろな疑いをかけられた上で「じゃあオンライン・ラベルをメール・アドレスに送ってくれ。ちょっと見てやるから」とのこと。
やったー!ついに、メールアドレスをゲット!
でもさー、そのメールアドレスがめっちゃ長いわけですよ。今、数えてみたら36文字ありましたから。しかもランダムな文字列だから。英語の電話でさー、36文字のメールアドレスを伝えられる、私の気持ちになってみて。
で、私が使ったラベルを添付して、ここのポストに出しましたっていうポストのIDとかを調べて、メールに書いて送ったわけ。
で、待てど暮らせど返信が来ないから、また「あのー、メール送ったのですけど、見ていただけましたでしょうか?」と電話するわけ。
コールバックするように言われて3回かけ直し、電話を転送するって言われて5分待たされて、で、ようやく聞きなれた係員の無愛想な声が電話口から漏れた時には、もう、なんだか「ありがたいな」って思ってしまったわけです。
「今、メールチェックしてみる。うん、着てた。読んだら電話する」ってさ。
想像つくと思いますが、待てど暮らせど電話は来ないのである。
で、また電話する。もういい加減、私はこの人のストーカーなんじゃないかって気持ちになるけど、仕方がないのです。待っても電話なんて来ないんだから。
「配達係と話したら電話する」ってさ。
もう、どうせ、電話なんて来ないからいいんだけどさー。でも、あきらめの悪い私は、1日経ってからもう一回電話してみる。
そしたら、なんと、私の荷物は、今日「発見」されたそうです。6月11日に出した荷物が、今日、発見って?ポストの中に眠ってたんじゃないの?って、日本だったら腹立たしくなってくるかもしれない。
でも、そんなことないのである。もう心のどこかで小包はないものとあきらめていたから、思わず感謝の気持ちがこみ上げてくる。
チリ人のクラスメイトがハーバードを受けた時に、何より不安だったのは、自分の成績でもエッセイの内容でもなくて、期限までに書類が届くかだったらしい。
「確かに!ぎりぎりに出したら不安になるよね」って、私が言ったら、
「2か月前に出すんだよ」ってさ。
そしたら、ブラジル人のクラスメイトが横からこう言う。
「分かる分かる!国際郵便が着くかなんて、まさに郵便局の気まぐれだからね」って。
なにそれ、ほんとに?
「僕の郵便は、2か月前に出したのに、どこかで止まってしまってて、期限までに届くのは難しいって言われた」と彼。
「どうするの?文句言うの?」と私が聞くと、
“No! Just begging!” (ただただ懇願するんだよ)ってさ。
ブラジルで5本の指に入る名家の人が、郵便が届くようにただただ懇願するんだって!すごい国なんだね!!
それで、私は、日本人は幸せだなと思ったのである。
郵便が期限通りに届くから?公共交通機関が時間に正確だから?もちろん、それもある。
だけれど、それよりも、郵便が届かないことで文句を言われるというのはすばらしいことではないか。だって、当然、届くはずだと思われているってことでしょ?
自分の仕事に対して高い期待をされてるってことでしょ?期待されていると思えないと、自分の仕事を誇れないでしょ?
「気まぐれで届く郵便」を仕事にしている場合に、自分の仕事に誇りを持てるだろうか。うーん、はなはだ疑問である。日本的な感覚からすると、それは趣味や道楽であって、仕事ではないってことになってしまわないだろうか。
プロフェッショナルというのは、専門性とか知識とか、いろいろな要素があると思うけれど、私は、結局、仕事のレベルに対する高い期待と強い自負というのが、本質ではないかと思う。
そう考えると、職人気質と言われたかつての時代から、日本はずっとプロフェッショナルの国だったのかもしれない。
とにかく、この点はすばらしいことである。
日本人の完全性というか、この点についてコメントをいただき、私はプロフェッショナル文化に思い至ったのである。
ブログにコメントをくださる皆さま、いつもありがとうございます。明快なご指摘は大変勉強になるし、温かい励ましは異国の地では本当にうれしいものです。
ちょっと日本が恋しくてたまらないから、日本食の写真でも載せてみましょうか?うーん、生唾が出てきた。こういうときは、帰りたくなりますね、本当!母の作ってくれたイクラが食べたいなー。日本から持ってきてもらったサバ缶食べて(ビールと一緒に!)、寝よっと♪