「不妊治療」という言葉はよく知られているが、「生殖補助医療」という言葉はご存じだろうか。“Assisted Reproductive Technology (ART)” と訳される、この言葉は、アメリカでは一大産業となっている。

不妊治療というのは、排卵誘発剤を使った方法や、タイミング法など、「自然な形で」妊娠できるようにする治療を含むが、「生殖補助医療」というのは、精子と卵子を体外で受精させて、女性の子宮内に埋め込むなどの高度な技術を用いる治療のみをさす。

なかでも、「第三者生殖(third party reproduction)」と言われる分野は、夫婦とかカップルとか、親になる人以外の第三者が、子どもの誕生に関与するものを指す。具体的には、精子ドナー、卵子ドナーと、代理母である。そして、これもまた、アメリカでは巨大な産業なのである。

今日は、この「第三者生殖」を使って、「独力で」母親になることができるかをリサーチしてみたい。「選択的シングルマザー(Single Mother by Choice)」という言葉で表現される、自分の意志で、一人親になることを決めた母親というわけである。

選択的シングルマザーになるには、いくつか方法がある。「父親になってもらう必要はないけれど」とお願いして、割り切った関係によって妊娠する方法もあるだろう。知り合いの男性から精子をもらって、人工授精により妊娠するという方法もある。しかし、「父親はこの人」と分かってしまえば、子供が物心ついてから複雑なことになりかねない。もし本当に、「匿名の男性」を父親にしたいなら、「精子バンク」に頼るしかないのである。

アメリカには、いくつもの民間精子バンクがある。カリフォルニア・クリオバンクは、なかでも大きなもののひとつである。カリフォルニア・クリオバンクのホームページを訪れてみて驚いた。肌の色、髪の毛の色、エスニシティ、身長、体重、学歴、あらゆる条件を指定して、精子ドナーを探すことができるのである。「クリスティアーノ・ロナウドに似てる人」という超スペシフィックな条件を指定して、精子ドナーを探すことだって可能なのである。ドナーが自分のことや家族のことを書いたエッセイを読んだり、スタッフのドナーに対する印象を読んだりして、ドナーの人となりを知ることすら可能である。ここまでの検索は、なんと無料でできてしまう。さらに追加でお金を払えば、ドナーの幼少期の写真などの入手可能である。
教授は、「まるでオンラインデートみたいね」という感想をくれたけれど、まさにそういう雰囲気である。

さらに、精子ドナーになれる人の条件の厳しさも驚きのひとつだった。精子ドナーになるためには、法律で定められた伝染病の検査のほか、自分の病歴や家族の病歴のチェックを受けなくてはならない。さらに、身長180センチメートル以上、四大に在籍しているか卒業しているなどの条件があり、結局、精子提供を希望する人のうち、なんと1%しか、精子ドナーになれないとのこと。これは驚きの少なさである。精子ドナーになれる人というのは、まさに「遺伝子優良者」ということができよう。

というのも、アメリカでは「精子ドナー」は学生の割のいいバイトとして知られており、ドナー候補者はあとを絶たないのである。1回につき約100から200ドル、そして1週間に1度(最短で3日に1度)、かつ2年くらい「精子ドナー」を続けるのが原則らしい。たいした労力を要せずに月400から800ドルの収入を得るのは、学生としてはなかなか「おいしい」のではないだろうか。

さて、提供された精子を買うほうはどうだろう?プリンストン卒で、イケメンで、アスリートで、IQがいくつ以上あってと条件をつけていくと、払うべき金額も増えていくのだろうか?

答えは「NO」

カリフォルニア・クリオバンクの場合には、どれほど人気のある精子ドナーでも金額はすべて一律で、一単位780ドル(匿名ではなくて、名前や住所などを明かすオープンなドナーの場合には100ドルアップ)。もともと、精子ドナーになる時点で、厳選された「理想の遺伝子」なので、さほど人気に差がつくということもないらしい。

さて、理想の精子ドナーを見つけることに成功したとしよう。次は、治療である。治療については、ボストンIVFクリニックという、ボストンで最も老舗の生殖補助治療クリニックにインタビューした。そのクリニックによると、治療は以下のように進むという。

まず、最初のカウンセリング。生殖補助治療(ART)の場合には、それぞれの患者さんに合わせたテイラーメイドの治療となるため、標準治療というものがないとのこと。そのため、医師とのカウンセリングでその後の治療方針を決めるのが最初のステップとなる。これが350ドル。

そして、Day 3テストというのは、生理周期の3日目にする血液テストである。このテストによって、生殖機能のレベルが分かるそうである。これが300ドル。続いて、X線で子宮や卵管の様子を検査する。このテストが1,000ドル。さらに、精子ドナーを使用する第三者生殖の場合には、ソーシャル・ワーカーによるカウンセリングも必要となる。

生殖機能や子宮、卵管の検査で特に難しい点が見つからなければ、人工授精(IUI)が最もシンプルな方法だろう。これは、子宮に近い場所に精子をダイレクトに注射する方法。「人工」の言葉に戸惑うかもしれないが、実際にはしごく簡単な施術で、妊娠過程も通常の妊娠と何ら変わりはないらしい。日本の不妊治療には一般不妊治療と、ARTをはじめとする高度不妊治療の分類があるが、人工授精は高度不妊治療には分類されていないくらいである。これは1回につき150ドル。もっとも、性行為による妊娠と同じで、確率論の問題がある。もっとも妊娠しやすい時期を狙って注入するのであるが、それでも1回で成功することはまれである。インタビューした医師やクリニックには、「妊娠の確率は個人差が大きいので、一概には言えません。」と口をそろえる。人工授精を使用して妊娠した女性にインタビューしたら、彼女は2回目のトライで成功したと言っていたが、これはレアケースだそうである。ということは、まあ、だいたい5回くらいは必要なのだろうか。1回につき150ドル、それが5回ということで、しめて750ドルという計算になる。

ボストンのあるマサチューセッツ州の場合には、不妊治療は保険でカバーされる。この場合の不妊の定義とは35歳より上の女性ならば6か月間トライし続けて妊娠できなかったこと、35歳以下ならば1年間となる。





つらつらと書いてきたが、以上のように合計3,180ドルとやる気さえあれば、「選択的シングルマザー」になれるということが判明した。アメリカでは「選択的シングルマザー」は手の届く範囲なのである。

それに対して、日本の場合には、精子ドナーに頼りたいと思う未婚の女性たちに対して、医師が施術を提供することはできない。産婦人科学会の会告は、レシピエントを夫婦に限定しているからである。「シングルマザー」という「選択」は、はじめの一歩で大きくつまずくのである。

さて、今回は技術的な側面をクローズアップした。もちろん、倫理的な側面からの反論がありうるだろう。

「父親を知らない子供はアイデンティティを確立するのに苦労するだろう。いじめられるかもしれない、自分は普通とは違うと感じてしまうかもしれない。母親になりたいという気持ちだけで、子供に苦労を強いるのは親のエゴである」

ごもっともである。

しかし、私は、精子提供を受けて母親になった女性が、インタビューの際に漏らした言葉を忘れることができない。

「子供の絵本や歌、世の中は『パパ』と『ママ』であふれてる。1歳になったばかりの私の息子もすぐに気づくでしょう、うちは『普通じゃない』って」

そうなのである。絵本や歌、童話におままごと、世の中は「これが『普通』だ!」という規範を発信し続けている。そして、その普通の範囲に入れなかった人たちは、苦しめられ、追い詰められ、社会からはじき出されるのである。

一人親が必ずしも子供に不幸だと私は思わない。むしろ、「父と母がそろっているのが『普通』の家庭が、子供にとっては最良である」であるという社会の価値観が、一人親の子供を不幸にしていると思うのである。

だが、考えてみてほしい。「普通の家族」って一体なんなんだろう? サザエさんみたいな家族なんだろうか?あんな三世代家族は、今の日本にはなかなかいないのである。

ドラえもんののび太家はどうだろう?ドラえもんは抜きにすると、父は会社員、母は専業主婦で、一人息子がいるというのは、いい線いってそうでもある。でも、東京で一軒家を持てる家族は、いまどき、普通ではないかもしれない。

今の時代の普通の家族ってなんなんだろう。私には、ますますわからなくなる。そして、こう思うのである。

「普通であることなんて諦めてしまえばいい」と。

Good bye Normativity!

こうじゃなきゃいけないという家族像にさようならをすれば、重荷がどれだけ軽くなるかしれない。