「この世は、男に支配されている」

 

これは、キャサリン・マッキノンの論理である。

 

キャサリン・マッキノンというのは、アメリカでもっとも有名で、影響力のあるフェミニストの一人である。「男性支配(male domination)」という彼女が唱えた論理は、一見、非常に極端なものに響くかもしれない。しかし、彼女の卓越した思考力は、それを緻密な論理として、世に送り出した。

 

彼女は早熟の天才である。イェール法学部3年生の時に完成させた論文は、世を瞠目させ、「性犯罪(Sexual Assault)」に関する立法を完全に塗り替えるに十分だった。

 

彼女はアメリカのフェミニストにとっては、マルクスみたいな存在である。その完成された、力強い理論は、この世の不条理を説明するに十分に思えた。マルクスが、資本家による労働者の搾取を不条理と説いたように、マッキノンは、男性による女性支配の不条理を説いた。そして、ある世代のインテリたちが、皆、マルクスの洗礼を受けたように、アメリカの(いや、おそらく世界の)フェミニストの卵の少女たちは、皆、マッキノンに心酔したのだ。

 

しかし、マッキノンの男性支配論理も、マルクスの理論と、ある意味、同じ運命をたどることになる。あまりに完成されすぎていたのだ。それだけで、世界のすべてを説明しようとしたのだ。それはいわゆる「フェミニズム原理主義」にもつながることである。世の中には、様々な抑圧された人たちがいる。人種、性的志向などによるマイノリティ、支配者とされる男性の中にだって失業して苦しんでいる人たちもいる・・・「フェミニズム原理主義」は、これらの人たちの鬱屈に対して、一切の理解を示さなかったのである。当然のことながら、どうして女性の抑圧が、人種や性的志向や、他のすべての抑圧に優先して、真っ先に解決すべき問題なのか。どうして女性の鬱屈の現状を変えるために、すべての(とは言わないまでも、極端に多くの)人的・物的・経済的資源を割かなくてはいけないのか。この問いに答えられないところに、おそらく、マッキノンの理論の弱みがあるのではないかと思う。

 

しかし、そうはいっても、マッキノンは、アメリカのフェミニストたちの間では、「ロックスター」のような存在である。マッキノンの好敵手とされる論客ですら、彼女に敬意を表するのを忘れない。ハーバートで教鞭をとりながら、テニュア(生涯、そのロースクールで教える資格、非常に名誉な、アカデミアのひとつのステイタス)をとらなかったマッキノンについて、好敵手はこう語った。

 

「法律というひとつの分野におさまるには、彼女は大きすぎたのよ」

 

そのマッキノンが、久しぶりにハーバードに戻ってくる!これは、講演を聞きに行くしかない!

 

はじめて生で見るマッキノンは、オーラを身にまとい、毅然とした、それはそれは美しい人だった。彼女の話し方は、信じられないくらい直接的で、その頭の良さとあいまって、相手を畏怖させるものがあり、個人的にお友達になれそうな感じでは、全くない(笑)。実際に、一人の年老いた受講者が、質問に立ち、長々と自説を述べた後に(実際に、それは質問ではなかったわけだが・・・)、彼女が、たった一言、発した

 

「それで?(So What??)」

 

という言葉には背筋が凍った。

 

それでも、私が印象に残ったのは、彼女がヒラリー・クリントンと、モニカ・ルウィンスキについて語った部分である。

 

ヒラリー・クリントンは、少なくとも公の場では、モニカ・ルウィンスキを「自己陶酔した、愚かな、アニメのキャラクターのような人物」と述べて非難し、一貫して夫を支持した。ヒラリー・クリントン v. モニカ・ルウィンスキという構造は今でも残っており、選挙キャンペーンにも影響している。インタビュー中に、アイオワの学生が、誤って彼女に「モニカ」と声をかけたことで(学生によれば、ヒラリーの隣にいた別の人物が、「モニカ」という名前で、彼女を指していたとのことだが)、ヒラリーが取り乱し、その学生をインタビューの場から叩き出したと、最近、報道されたくらいである。

 

しかし、マッキノンは、確かにこういう趣旨の説明をした。

 

「モニカ・ルウィンスキは、『被害者』としての側面もあるのに、マスコミも誰も彼女を気遣うことなく、センセーショナルに報道し続けた。そして、夫の裏切りにあったヒラリー・クリントンは、自分の本心を吐露することなく、夫を支持するという証言をし続けることを、ある意味、強要された」

 

つまり、マッキノンからすると、モニカ・ルウィンスキもヒラリー・クリントンも、ある意味、同じ男性社会の支配原理の中で「被害者」としての立場を、共有していることになる。モニカとヒラリーの対立構造に、「男性:女性」という対立軸が持ち込むと、彼女達は「対立」から「協調」に関係を変えうるのである。

 

今回の講演でおもしろいことを聞いた。なんと、キャサリン・マッキノンとヒラリー・クリントンは、イェールの同じ学年で個人的な知り合いだというのである。今回、マッキノンは、ヒラリーについて、それ以上に踏み込んだ発言をしなかったが、ヒラリーが仮に大統領になった時に、アメリカのフェミニストたちが何を言うかは、とても興味深い。

ブログ160313

写真はhttp://today.law.harvard.edu/wp-content/uploads/2014/01/Mackinnon_Catharine-A-731x1024.jpgから