「確かに、彼はビル・クリントンではある。しかし、あのカリスマはどこに?」
ヒラリー・クリントンを応援するために、公衆の前に姿を現したビル・クリントン氏を見て、誰もがそう思ったのではないだろうか。〝It’s Still Bill Clinton, but the Old Magic Seems to Be Missing″と報じたニューヨーク・タイムズは、大衆の気持ちを代弁していると言えよう。
この演説会の際のビル・クリントン氏の写真はニューヨーク・タイムズからのものである。言っては何だが、「引退後はのんびりと暮らしています。ちょっとそこ らへんのスーパーに買い物に来ました」、といった風情である。老いを否めないこと、一回り小柄になったこと、ユーモアや笑顔を交えた演説は健在であるものの、妻のライバルであるバーニー・サンダース(後述)への批判はずいぶんとマイルドになったこと。。。ニューヨーク・タイムズの紙面で、様々な指摘がなされている。しかし、カリスマが失われた原因として、私が最も強く感じたのは「現役感」がなくなったことである。
アメリカの大統領という最高の役職を無事に8年間やりおおせた彼は(弾劾されそうになったが、結局、任期を全うした)、まさに人生のピークを終え、主役の座を後続に明け渡そうとしているのだろう。私生活でどれほど批判を浴びようとも、一度、演説を聞いた人はすべて虜にしたといわれる、あの往年の演説の名手を支えていたのは、機知やユーモアといった演説のテクニックだけではなくて、この舞台で必ず主役を張るという気概だったのではないかと、私は思うのである。
メー ル問題で窮地に立たされているヒラリー・クリントンにとって、頼みの綱の夫がかつてのカリスマ性を失ったことは手痛いニュースではないかと思う。ヒラリー といえば、ここ最近は不運なニュースが続いている。まず、国務長官時代に私用メールを使ってしたやりとりのうち7通が「極秘」に指定され、プロフェッショ ナルとしての資質が問われている。そして、民主党のライバル候補、社会主義者のバーニー・サンダースの急激な追い上げを受けている。USA Todayの1月の調査によれば、民主党支持または無党派層の若者たち(18歳から34歳)の間で、サンダース支持は46%とクリントン支持の35%を上回っている。保守派により始めたクリントンに比べて、大学の無料化などを打ち出すサンダースは、若者にとっては魅力的に映るのかもしれない。
2月1日のアイオワの党大会で大統領選は本格的に幕を開ける。折からのスキャンダルのあおりを受けて、ヒラリー・クリントンが、サンダースにリードを許せば、8年前のあの悪夢がよみがえるだろう。大統領候補の大本命と目されながら、オバマにリードを許し、3位に沈んだあのアイオワの悪夢である。
しかし、風当たりの強いヒラリーであるとはいっても、同じニューヨーク・タイムズの彼女の写真を見てほしい。「現役感」が半端ないではないか。69歳となった彼女、確かに老いの影は否めないものの、全身にエネルギーがみなぎっている。8年間の大役で人生のピークを終えた夫と、8年越しの野心にリーチをかけようとする妻、年月は同じように二人の上に流れても、その意味するところは全く違ったのだろう。
「年齢は単なる記号にしか過ぎない」と言ったのは夏木マリ氏であるが、いつまでも現役であり続けている者だけが持つ、張り詰めた緊張感が、年齢を単なる「記号」に変えてしまうのだと思う。