この間、日本に帰国した時に佐藤優さんと対談させていただいきました。それは非常に貴重ない経験になり、その内容については、来週月曜日発売のアエラに載る予定です!ぜひ、お手に取っていただけるとうれしいです。

さて、今日は、そのときの話題のひとつ

「日本は低学歴社会なのではないか?」

という、テーマについて。その対談の後に、私はこの事実について、よくよく考えてみたのだった。

 

たとえば、かつてのエリート中のエリートといえば「大学中退者」だった。大学三年生の時に外交官試験に合格して、そこで中退して外交官になるというのが、最もよいとされていたのだ。

かつ、学者の卵ならば「院生」よりも「助手」である。本当に優秀な学生は、教授に「助手」として採用される。「院生」となるのはいわば「二番手クラス」、そういう意味では「大学院卒」の称号は、ときとしてネガティブにすらなるのである。

 

ところが、である。他の国から来たハーバードの同級生たちは、「大学院卒」=PHDを、本当に「cool!」だと思っているらしい。

ハーバード・ロースクールのPHDプログラムは最低5年である(最低5年ですよ?信じられます?)昨晩、みんなでごはんを食べているときに、その中の一人の男の子がハーバード・ロースクールのPHDプログラムに入ることを考えていると言った。そうすると、私以外の人たちがみんな口々に言うのだ

PHDなんか取ったら、すごいモテモテになっちゃうんじゃない!」って。

そっかー、なるほどー。PHDを取ることが評価されているとは聞いていたけど、こういうときに「肌」で感じるのである。あー、本当にPHDって、この国では「かっこいい」ことなんだって。なんか、日本で院生とかポスドクとかが、「モテモテ」って、うーん、そういうイメージ、あんまりなかったな、って。

 

日本は「入学歴社会」であって、「卒学歴社会」ではないという説明はたやすい。入学試験は難関であるものの、入学すればおおむね卒業が保証されている日本においては、入学したという事実のほうが卒業という事実よりも重要になるのだろう。実際に、大学時代に何をしているのかは問われず、むしろ、大学の成績が良い学生を「勉強ばかりしていた」と敬遠する企業すらあると聞いたことがある。アエラの対談を読んでいただくとわかるが、佐藤さんが「日本は低学歴社会」という問題提起をされ、私は今言ったことに言及しているはずである。

 

しかし、それだけなのだろうかと、あの後、私は考えているのである。もしかしたら、ただ入学試験が難しいというだけの問題ではなく、日本に現在でも根強く残る、「職人文化」が影響しているのではないかと思うのである。職人の教育というのは、決して学校だけで学べるものではない。むしろ、実社会に出てからこそ、学ぶべきものだったのである。だからこそ、寺子屋で読み書きそろばんの基本を習った後は、丁稚にでもなって奉公をして、親方とか兄弟子の仕事っぷりを見ながら、あとは見様見真似で学ぶ。

この実社会の中で働きながら学ぶという、職人教育の伝統は、「学歴社会」と言われる現代の日本にすら、色濃く残っているのではないか、ということを、私は言いたいのである。だから、アカデミックの世界に残って、研究を続けてPHDなんか取るよりも、さっさと社会に出なさい。そして、働きながら、先輩の技術を目で盗みなさいっていう、そういう価値観があるのではないだろうか。そして、それが「日本型エリート教育」の根底にある考え方ではないかと思うのである。

対して、アメリカにおける「職人教育」って、私は全くイメージがわかない。ヨーロッパ大陸であれば、「ギルド」なんてのがあって、職人教育の歴史があったのであろうと思うのだけど。やっぱり、イギリスの産業革命は職人文化を崩壊させ、新しい文化を創り出した、そいてアメリカはその新しい文化を受け継いでいるのだ、という説明になるのだろうか。世界史に造詣の深くない私は、ぼろを出したくないので、ここらへんで考察をストップすることにする。この点は、今度また世界史の勉強をやり直して考えてみたい+世界史に造詣の深い方がいれば、ぜひ考察をお聞かせいただきたい、とお茶を濁して…

 

今回の写真は、プロビンス・タウンに立つ塔である。

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「アメリカの職人文化って、なんか思いつくかなー?」と一生懸命考えていて、これを思いついた。石を積み 上げられて作った塔の中にはらせん状の階段が築かれており、上から見下すと幾何学的な構造は、なかなか美しい。これは、もしかしたら、アメリカの匠の技と いえるのかもしれない。

(っていうか、建築とかに全く造詣がない私は、ほんとは全くわかってないんだけど、とりあえず、「構造美がー」とか蘊蓄(うんちく)を傾けてみたいばっかりに、強引にこの写真、持ってきちゃったんだけど(笑)。浅くって、すみません!)

 

でも、考えてみれば、アメリカの独立を記念して建てられたこの塔は、アメリカの歴史からすると相対的に「かなり昔」、日本の歴史からすると「それなりに近代」に作られたものであろう。で、要するに、何が言いたいのかというと、日本とアメリカでは歴史っていうのは、やっぱり全然違いますね、と。その歴史に培われた教育システムっていうのも、全然違いますね、と。だから、アメリカのシステムをパッチワーク的に取り入れても無理がありますよねってことが、言いたかったのである。ほら、ロースクール制度だって、結局、失敗って言われているでしょ?

そこらへんについては、こちらの本にも書いているので、ぜひ読んでいただけるとうれしいです。はー、書いてみてわかったが、ブログの最後に自分の本の宣伝でしめるというのは、すごい厚かましいことをしているようで、なかなか勇気のいるものである。

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