フェミニストの中には、「多くの場合、結婚は女性に不利な『交換』である」と議論する人たちがいる。小倉千加子氏は『結婚の条件』という本の中で、結婚を「カ オ(美貌)」と「カネ(経済力)」の交換である、と直截的に言い切る。いわく、20代で釣り合った女性の美貌と男性の経済力は、その後、年齢を積み重ねるにつけ、女性の美貌が右肩下がり、男性の経済力が右肩上がりになることで、40代で不均衡を迎える、男性側はこの不均衡な婚姻関係を解消して、新しいパー トナー(多くの場合、より若いパートナー)と新しい関係を築く自由があるが、女性の場合には婚姻関係が解消されると経済条件は悪化する場合がほとんど、というのである。批判はいくらでもできるけれど、まあ、ひとつの側面からにせよ、一定の事実が含まれることは否定しがたい。

アメリカのフェミニストの中では、ジョーン・ウィリアムズなんかが、この不平等条約を解消しようと試みている。「男性側が自分の『お財布』を持ったまま、結婚から歩み去っていくことを許さない」というわけである。

彼女の議論は、私の理解によると、こんな感じである:

離婚のときって財産分与っていって、家とか土地とか財産を半分に分けるじゃない?でも、これっておかしいと思うの。専業主婦家庭とかの場合には、これだけだと足りないと思うの。だって、一番大きな財産って、大黒柱であった旦那さんの「稼ぐ力」なわけじゃない?そして、この「稼ぐ力」って旦那さんだけに帰属するものじゃないと思うの。なぜなら、結婚している間中、奥さんが家事に専念して、健康に気を遣って、彼が仕事に専念できる環境を作っていたわけじゃない? それが、彼の仕事の意欲にも出世にもつながっているはずじゃない?だから、この「稼ぐ力」についても、奥さんの寄与分に応じて、旦那さんと奥さんで分けるべきよ。

実際に、ニューヨーク州とかいくつかの州では、こういう「財産」分与が認められている。

<ロースクールの学生のケース>

ひとつのケースはロースクールの学生のケース。奥さんは看護婦さん。旦那さんがロースクールに通っている間に、働きながら旦那さんの生活を支え、さらに家事全般を請け負って、旦那さんが学業に専念できる環境を作りました、と。その支えのかいあってか、彼の実力が、彼のロースクールでの成績はとてもよくって、前途洋々に見えた。しかし、卒業を目前にして、彼は彼女に対して突然「僕の勝手で申し訳ないが・・・」と別れを告げる。二人の間に子供はいない。

このケースの場合には、二人の間にいまだ大した財産はない。もっとも大きなものは旦那さんの「将来性」ということで、裁判所はロースクールの学位を財産としてその価値(そこから将来得られるであろう収入)を算出し、奥さんの寄与分を彼女に返すことを認めたのである。

<オペラ歌手のケース>

この場合には、奥さんの方がすごく評価されたオペラ歌手で年収は1億近い。そして、ボイストレーナーだった旦那さんは自分のキャリアを犠牲にして、奥さんの成功に人生を賭けたわけです。そのかいあってか、スターダムを駆け上がった彼女は、その頂点で離婚を決意。さて、この場合には「糟糠の夫」は何を得ることができるか。

このケースで、「妻のキャリアとセレブリティとしての地位」を「財産」として分配することを、裁判所が認めたわけです。

それは批判はいくらだってできる。ロースクールの学生のケースの場合には、この人はとっても自分勝手な奴で、自分の利益を最大化することしか考えてなくて、 卒業後はローファームで貪欲に働いて、自分のマーケットでの価値を最大化するだろう、くらいのイメージを持ってるかもしれないけど、卒業後に、もし、NPOとかに行って恵まれない子供たちのために尽くしたいとか思ってたら、または今後思うことになったら、どうするわけ?とか。でも、奥さんへの財産分与は、彼がローファームで働くって前提で設定されているから、NPOに行っちゃったら払いきれなくなっちゃう、僕の将来の夢をどうしてくれるんだ、とかってこともありうるわけで。

なので、「財産」の換算と将来の不明瞭さをどう取り込むかっていう精緻化は必要だと思いますが、私は、基本的にこの議論を支持します。まあ、賛成・反対はともあれ、こういう議論は必ず「輸入」されますから、世の稼ぎ手の男性たち(おっと、これはステレオタイプでした。「一家の大黒柱となっている男女」、または、性別には「男女」しかないという前提自体が偏見だというならば「世の稼ぎ手」で止めなくては。。。)も、知っておくに越したことはない!と思います。

写真はまたしてもこじつけですが、ロースクールの学長。ジェンダーステレオタイプに対する対抗ということで!

ブログ151214