この間のブログで、コンサバすぎるアメリカとリベラルすぎるアメリカについて書いたけれど、フェミニストの間にもコンサバとリベラルの対立があるので、書いてみたいと思います。

フェミニストというだけで、だいぶリベラル寄りだと思うので全体として偏りがあるかもしれないけれど、それでも右左がある。

 

そして、このコンサバとリベラルのフェミニストが最も対立するのが「Sex War」と呼ばれる議論である。「Pleasure or Danger」 のサブタイトルで知られる通り、要するにセックスは女性にとっての楽しみかそれとも女性自身を傷つけるものなのかという議論である。

よくそんな議論をあけすけにするなと思うけれど、この国はこの手の話題についても比較的オープンで、ロースクールのクラスでも、この手の議論がかなり熱を持って語られている。

 

そして、その議論の際に、いつも対象とされるのが「Prostitution」要するに「売春」である。

 

コンサバなフェミニストは、売春の全面廃止を主張する。

売春は男性による女性支配の象徴であるので、全面的に廃止すべきであるというのがかつての廃止派の立 場。その議論が流行らなくなってからは、売春は暴力を伴うものが多くて危険である。そして、精神的にもトラウマが残る。つまり、心も体も傷つけるものであるという主張である。

「売春はどうしていけないんですか」という質問に、「コンサバ」と思われる教授はこう答える。

Dwarfism(小人症)という病気があるでしょ。その女性がサーカスでね、投げられる役目をしていたの。それでこれが人権問題になるのではないかと国連で争われたの。女性 自身は完全に同意していたわけ。自分にはほかに職もなく、この職業によって比較的有利な給料が得られるっていってね。でも、結論としてはこれは人権侵害ということになった。どれだけ、本人が同意しようと人道的な観点から許されないことがある。それと同じことよ」と。

 

それに対して、リベラルなフェミニストは、売春を蔑視すること自体が、実は、男性優位の発想にとらわれていることの表れではないかと反論する。

性的に開放的な女性を蔑視するのは、女性に清廉性を求める男性優位社会の表れではないかと。そして、2世紀前に蔑視されていたオペラ歌手という職業が、いまや賞賛の対象となっていることを例に挙げて、売春を女性による職業選択のひとつととらえましょう、と。工場に働きに出るのと、売春を職業として選択するのと、その女性に選択の余地を与えてもいいのでは、と。そのうえで、労働法的な観点から、暴力への対策を含めて労働条件を改善しましょうというわけである。

リベラル派にしても、決して売春を積極的に肯定しているわけではなくて、そういう選択を強いられる状況を改善するという目的自体は、コンサバと変わらない。

 

いずれにせよ、この手の議論がオープンになされるということが、私にとっては新鮮。何にせよ、タブー視するのではなくて、議論することが第一歩なのではないかと思う。

 

写真は、日本人の感覚からはなんとなく「タブー」に触れてしまっている感じがするアメリカのお庭の造形。。。うーん、これも開放的ということか。。。

ブログ151117