こちらはすっかり秋の季節を過ぎて、冬に近づきつつあります。
クラスメイトとも仲良くなってきて、一緒にクルージング・ディナーに行ったり♪
さて、今日は、アメリカのコンサバすぎるところと、リベラルすぎるところについて、書いてみたい。
日本では私は、『自分は「コンサバ」なんだろう』って思っていた。「昔ながらの価値観とかを大事にすべきって思ってるし」みたいな。
ところが、アメリカに来て保守本流の意見に全く同意できないものが多いことに気づき、「いや、こちらの保守というのは、保守ではない」と思うに至った。
昔ながらの価値観を変えることを好まないことを「保守」というのであって、ドナルド・トランプみたいに2世紀くらい前の時代に戻りたい人を保守派というわけではないよな、と。
アメリカの最高裁判決で「コンサバ」と「リベラル」が、もう本当にこれでもかというくらい激しく感情的に意見を対立させたのは、最近では今年の同性婚、かつてに遡ると1973年の中絶のケースだろう。
同性婚は賛否が分かれるのもわかるけど、中絶がどうしてそこまで象徴的な問題になるのってよく分からなかったのだけど。要するに、宗教的な背景に基づき、「性交渉というのは婚姻関係にある男女が子供を作るために行うものであって、婚姻関係にない男女とか、純粋な楽 しみのための性交渉とかは、一切認めない」と主張して、女性を家庭内で守ろう、又は女性を家庭に縛り付けようとする「コンサバ」と、「女性の選択」を主張 して、従来の価値観から女性を解放しようとする「リベラル」の、もう本当に熾烈な戦いだったということが理解できるようになった。
「コンサバ」の本流の人たちは、いまだに中絶はおろか、避妊にも反対しているらしい。宗教的な背景あってのことではあるが、それにしても、「望まれない子供」が生まれてくるかもしれない悲劇はどうなるのだろう。
それに対して、「リベラル」は「女性の選択の自由」を主張する。でもでもと思って、「男性の選択」について、あるセッションの時に質問してみた。「中絶の文脈では男性の選択については、どう扱われてるのでしょうか?女性の中絶の選択に反対して、自分は子供を持ちたいと主張する男性の権利は?女性の生むという選択に反対して、養育費を支払わないと主張する男性の権利は?」と。回答は「今のところ両方ともないわ。どんなに反対していても、女性が生むと選択した ら、男性は黙って養育費を支払うというのが判例よ。」とのこと。
「コンサバ」にしろ「リベラル」にしろ、どちらも極端な国だなという気がする。