ニューヨークタイムズのこの記事が面白いと思ったのでシェア。
夫 にもらったものに、常に文句を言い続ける親友を反面教師にして、筆者は自分の夫からもらったプレゼントは、常に「とても気に入ったわ!ありがとう」というようになった。だけど、朱色の壺をもらったときとか、やっぱりいくつかのプレゼントは好きじゃなかった。時を経て死にゆく夫が筆者に「プレゼントは本当に気にいってたの?」と確かめて、筆者が「ええ、本当に全部好きよ。はじめは気に入らなかったものを含めてね」と答える。それで、夫が「はじめは気に入らなかったものって、あの朱色の壺だね」と言い当てて、筆者がためらいがちに頷く。それで、夫が大笑いしてくれたので、安心するというところから、この記事ははじまります。
そして、相手から受け取ったプレゼントが、明らかに自分の好みに合わない時に、どうすべきかという話になっていきます。
「このバッグの色が好きじゃないから、違う色に交換してほしい」というべきか。
「ありがとう!すごく気に入ったわ」と言って、決して使わないのがいいのか。
それとも、好みに合わなくても、我慢して使い続けるのがいいのか。
家族とか親しい間柄なら、「好みに合わない」と伝える方が、いいのかもしれない。そうすれば、次の機会から、自分のテイストに合うものを贈られるようになるかもしれないから。プレゼントをあげる立場から考えれば、気に入らない時には少なくとも何かのヒントを示すことが、効果的かもしれない。そうすれば、次に選ぶ時に間違わなくて済むから。
しかし、筆者はそうはしませんでした。気に入らないプレゼントでも、常に「すごく気に入ったわ」と言い続けました。
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些細なことだけど、昨日、語学学校の教室でサングラスをなくして、すごく落ち込みました。気にいってたものだったから。不注意だったと自分を責めたり、日本だと忘れ物はほぼ必ず見つかるのにと残念に思ったり。でも、そのときに、語学学校のクラスメイトの一人が、次の約束をキャンセルして一緒に探してくれて、なんかすごくうれしくなって、この記事を思い出しました。
世の中には、お金で買えるものとそうでないものがある。
なくしたサングラスはお金で買えるものだし、必ず、またお気に入りのものを見つけられるはず。でも、一緒に探してくれた友達との関係というのは、それを失った時に、同じものを取り戻すことは難しい。
私 たちが好みに合わないプレゼントに、それでも笑って頷くのは、「気に入ったもの」を手に入れることが目的ではないと、知っているからだと思います。その人の好みに合うプレゼントを探そうと努力し、喜ばせようと努力し、そうやって相手を気遣っていることを伝えることがプレゼントの目的。プレゼントそのものではなくて、それを通してお互いの関係という見えないものを維持することに価値があるから、好みに合わないプレゼントに大喜びしてみせることが、場合によっては「正解」になるんですね。